処女の落とし方

3.

涼は自分のベッドに横になって今夜の北村の話を思い出していた。北村の話を要約すると、今年の4月課長昇任を期に、少し前から気になっていた倉沢ゆり子に交際を申し込んだという話。そのこと自体も涼は初耳で驚いたのだが、北村が即効で振られたのだいう事実もかなりびっくりした。 

倉沢ゆり子はSCM部のフロアーチーフである。在庫管理、商品の発注、また原材料の発注、などをコンピュータのソフトを使って管理する、受注から物流業務までを一手に引き受ける管理部署だ。過剰在庫を避け、いかにスムーズに顧客リクエスト商品を受けだすかの要の部署なのである。 彼女は涼より3年遅れて入社してきたので、現在、31歳にはなっている筈だ。北村の営業チームも、原材料を発注したりする涼の部署も、このSCMチームとは密接な関係を持っている。 SCMの部署は女性社員20人くらいで構成され、各自がそれぞれ顧客ごとや国ごとに在庫や商品の管理を任されている。欠品や過剰在庫などがでないように、週1で自分の担当している営業や海外事業部との綿密なミーティングを行う。このフロアーの女性社員は、自分の担当する商品や客と関連ある営業担当者とだけ打ち合わせを行えばいいが、フロアーチーフの倉沢は、全体を把握するため、全担当の打ち合わせに出席している。そのため、何か問題が起きたり、急な入用で商品の入庫を早めてもらうときなどは、責任者の倉沢とは緊急ミーティングを直に行うので、北村も涼も倉沢ゆり子とは馴染みが深かった。
 

『倉沢ゆり子が処女って信じられるか?』

北村の質問はスルーした涼だったが、答えは?と聞かれれば、『ノー』だ。

倉沢ゆり子は色白で化粧は薄め。黒髪の長さは肩より10cmくらい長く、髪の毛はパーマも巻きもないストレートの髪。その髪をいつも額をしっかり見せてオールバックでひとつに後ろで束ねたり、シニヨンにしたりしている。涼の持論からすると、オールバックが似合う女というのは、十中八九、まず額ぎわが綺麗である。そして体の骨格が美しいこと。顔全体をだしてしまうことは、スラリとした体躯をしていないと頭でっかちの印象を受ける。顔の造作が云々というよりも、モデルやバレリーナに多い体形。ゆり子もそういう意味では涼の持論にもれず、確かに、顔は小さく、いつものローヒールを履いていても軽く優に170cmは超えているであろう、背の高い女。彼女がよくフロアーで部下のデスク脇で立って話している姿を目にすることが多い。その後姿をみると、バランスのとれたきれいな体つきだな、と感心する。どちらかというと地味な顔立ちなのだが、印象的なのは切れ長の二重の目だ。あまり笑った顔を見せないのでクールな印象を与える。涼は意外と、その誰にも媚びないような凜とした顔つきが気に入っていた。彼自身は、目は大きいけれどやはり切れ長で、ましてや一重ということもあり、冷たい印象を与えないように、人と接するときはなるべくやさしい笑みを浮かべるように心がけているのだ。 

また涼が気に入っているのは、ゆり子の部下たちは全員女性でありながら、あからさまに涼に言い寄ってくるものが一人もいない、ということ。煩わされることなく仕事に集中出来るのもありがたい。自分の部下を選ぶとき、異例ではあるのだが、どうやら人事に自分の希望を伝えているらしいのだ。普通は希望を入れてもなかなかその通りの部下は望めない。ただ、ゆり子の部署は女性所帯なので、仕事とは関係ないところでトラブルが発生して業務に支障が起きないようにという印籠を引っさげて人事を脅している、らしい、という噂もチラリと聞こえてくるようだが。いずれにしても、ゆり子の能力を会社が高く買っていることは間違いなかった。そしてこれについては、涼も北村もまた他の営業部の連中も異存はない。

そういう仕事上、北村はチョクチョク倉沢ゆり子と接触していくうちに、意識するようになったらしい。それで清水の舞台から的な感覚で気持ちを伝えた。倉沢は驚いたように北村の気持ちが本気かどうか何度も確かめたという。安直な北村は、ゆり子も自分に気があり、遊ばれるのを危惧して、慎重に確認したんだと思ったようだ。

その夜、残業をしていたゆり子を誘い、北村にしてはちょっと頑張った洒落たバーに連れて行ったところ、件(くだん)の告白を聞くことになった。



『北村さん、たぶん、わたし、つきあうには北村さんには重いですよ。』
『えっ?』
『北村さん、今は生活乱れていてるようですけど、根本は誠実だから、』
『うん、』
『わたしは重いです、きっと。』
『なんで?』

『わたし、まだ処女ですから。』



その後は北村は頭が混乱して、あわてまくって、何を話したか覚えていないらしい。ゆり子の言葉が断る口実なのか、はたして事実なのか、真相はわからないまま、北村の交際申し込みはそのまま立ち消えになり、そんな矢先の腹黒、受付嬢、上田和美のお誘いに話が展開していくのだった。

北村の興味深い話はさらに続いた。何を隠そう、あのカーマスートラ云々の本を渡したのは誰でもない倉沢ゆり子だという事実。

(なんだ?)

女漬けの人生で、女にかけては経験豊富なさすがの涼も、この一連の出来事には理解不能と言うしかあるまい。

彼は入社当時の倉沢ゆり子のことを今でも良く覚えている。今とそれほど変わらない外見、それでも入社当時は時々髪をおろしていたり、多少初々しかったかもしれないが、昔も今も、落ち着いた女、という印象。骨格フェチの涼は、昔から彼女の線が好きだった。ギリシャ彫刻の少女のようなその骨格は、服の上からでも美しいフォルムを描きだしていた。それでも彼は彼女に手を出さなかった。涼からすれば、ゆり子は、=肉体関係から結婚を迫ってきたり、トラブルの元になる= 決して厄介な女の臭いはしなかった。勿論、遊んでいるタイプではないが、かといってセックスしてそれが結婚と直結するような安易な思考、もしくは発想を抱いていた子供とも思わなかった。当時の涼は自他共に認める下半身の最低男。まあ、ゆり子が入社して来た頃にはそろそろ女漁り時代も最終ステージを迎えていたので、ゆり子の同期女子とは、自ら表立ってモーションはかけないものの、例にもれず、勝機あれば据え膳食わぬはのライフスタイル。一度酒に飲まれた時があって、気がついたらラブホの一室で、隣に当時のゆり子と一番仲良かった女子が寝ていて、、、結局やってしまった。

(名前も覚えてない、最低だな、まったく。)

今では顔もうっすらとなりゆく過去の女たち。その中でゆり子との事実 =手を出さなかった= だけが彼にとっては奇跡だった。そんなことを思い出しながら、倉沢ゆりこ → 処女、の図式が頭をよぎる。

(別に関係ねえよ。)

人のことなんてどうでもいいし、関係もないし、興味もない筈なのに、その夜は目を瞑っても、結局この図式に悩まされる事になってなかなか眠りにつけなかった。

ポチリ嬉喜 
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