餡子の行方

奏の気まぐれ? 4.

「さあ、食え!」

ドンと風子の前に鯵フライ定食が置かれた。何て言う男だろう。何も言わない、半ば強引にこんなところまで連れてこられて、挙句、いきなり食えとは、なんたることか。普通の女なら、目くじらをたてて怒り狂うかもしれない。デリカシーがない、とか、勝手なことばかり、やいのやいのと文句は途切れることがないだろう。風子だって同じことだ。いくらなんでも奏は暴君過ぎると!だが、風子は、目の前の鯵フライとご対面した瞬間に、すべての怒りが一瞬に消えた。ほんわかと湯気がたちのぼる艶々の真っ白なご飯の横に、何を食べて育ったのだろうか、と思うくらいまるまると肉のついた鯵は、開かれたままフライの姿になって皿を飾っている。あとから追加でやって来た、イワシの香味揚げだって、たまらない。だが、まずは鯵フライだ。

/カサリ/

からっとあげているからこそ、箸で持ち上げただけなのに、この感触。まだアツアツの鯵だったが、迷わず風子は大口をあけて、パクリとフライに噛みついた。

「美味しい!」

ああ、唾液がとまらない。揚げた油が甘く感じ、鯵も実にあぶらにのっていて、何ともジューシーなことか。ダイエットなどといっているくせに、どうしても黄金のコンビだと風子が疑わない、タルタルソースとの何とも芸術的な組み合わせだろう。

「おや、嬉しいね、アンタ、いい子だね?」

ばあさんが、風子の美味そうな顔を見つめ、本当に嬉しそうに笑って、奏に顔を向けた。奏も笑っていた。眼鏡の奥の瞳も優しくなっている。

「おばちゃん、このアジフライ、美味しいです。その上、これ、ラッキョウとマヨネーズのタルタルソースでしょ?」
「おや、アンタ、よくわかったね?」
「甘酸っぱくて美味しい!青魚にぴったり!」

風子は食いしん坊であり、食のこだわりは尋常ではない。こうやって美味しいもの =例えカロリーが高いとしても= を食べられる、この瞬間がいつも幸せなのだ。今だけは、 “奏と佳つ乃” のことは忘れていられる。

思いっきり白米をほおばる風子を見た奏が、呆れた声を出した。

「お前、もう少し落ち着け!喉、つかえるぞ?」
「だって、この鯵フライの余韻でご飯たべなきゃ、リズムが狂っちゃうんだもん!」

そう言った風子の箸は休まることを知らない。カウンターから、じいさんもやってきた。

あんちゃんのお連れさん、食いっぷりいいねえ?いやあ、久しぶりに見たよ、こんな女の子!」
「だろ?」

奏の瞳が嬉しそうに細められた。
風子のご飯茶わんはあっという間に空になった。

「おばちゃん、お替り!」
「あいよ!」

4人だけしかいない食堂なのに、そこはとても賑やかで温かい居心地の酔い場所だった。





*****
「何だい、風子ちゃん、近衛ちゃんの幼馴染なのかい?あたしゃってきり、近衛ちゃんのイイヒトかと思ったよ。」
「え?」
「だって、アンタ、近衛ちゃんが、4年間通って、一度も女の子つれてきたことなかったもんねえ?」
「え?そうなんんですか?」

風子はこんなにおいしい食堂に、佳つ乃を連れてこないことに首をかしげた。話を聞けば、奏の通っていたアインシュタイン大学は銀座にあり、いつも腹を空かせてはここに飛び込んで、じいさん、ばあさんのお慈悲にすがり、奏は美味いモノにありついていたらしい。佳つ乃だって、奏の大学の同窓生なのだから、この食堂に一緒に来て、美味しいモノに舌つづみのシェアをしてもおかしくないだろうに。

「佳つ乃さんは?」

風子はそのまま、疑問を口にした。

「ばあか、佳つ乃がこんな薄汚い食堂に来るかよ?」

なるほどと思う。味は絶品だけれど、やはり食堂というところに、奏も佳つ乃を連れてくるにははばかれたのか。だが、あまり奏らしくなかった。彼はいつだって自信の男で、自分がイイトイウモノに関しては、相手が何と言おうと絶大な自信を持っているのに、、、惚れた弱みというやつか?

「ちょっと近衛ちゃん、なんだい、なんだい、薄汚いとは聞き逃せないね?!」

確かに奏は失礼だ。だが、気心が知れているのだろう。だって奏がこんなにリラックスして、昔と変わらぬ毒舌で自由にしているのだから。風子は知らず知らずと笑顔がこぼれる。

「何言ってんだい、ババア。これはアンちゃんの褒め言葉だろうがっ?!」
「おや、そうだったかいね?」
「このあんちゃんは、正直で世辞が言えない分、足しげく通ってくれる、今だって社会人になっても忘れずに来てくれるなんつうんざ、おりゃ、料理人冥利に尽きるってもんさ!」

ぐすりとハナをすする真似をするじいさんは、とてもお茶目に見えた。

「そうだねえ。となると、そんな近衛ちゃんが思ってくれる店に連れてくる風子ちゃん、アンタ、愛されてるんだねえ?」
「当り前さ!おりゃ、わかったね。すぐ、わかったね、兄ちゃんのイイヒトだって、風チャン見てすぐわかったね。」

じいさんは、小指をたてて、風子と奏に見せびらかす。風子は真っ赤になった。勝手に誤解して、勝手に結論付けるが、奏はそのまま否定もせず軽口をたたいた。

「フン!まあ、ぼけてないから、よしとしよう!」
「なにをっ?!」

このじいさんとばあさんに、風子は口をあんぐりとするけれど、でも、とってもいい感じだ。風子の大好きな人たちリストに付け加えられていた。

「っていうか、お若いですよね?」
「今度、風ちゃん、遊びにおいでよ。美味しいもんたくさんだしたあげるよ。」

じいさんの顔がクシャクシャになって言えば、ばあさんも負けじと答える。

「そうだよ、風子ちゃん。近衛ちゃんが一緒でもそうでもなくても、いつだって、美味いもん出したげるから!またおいで!」
「はいっ!」

風子の満面笑顔は、もう年上キラーだ。特にジジババにはたまらない。重田老夫妻は、生憎子供がいない。だが、食堂経営の日々が、その一抹の寂しさすらも感じさせないくらい忙殺してくれる。銀座のはずれにあるこの食堂は、界隈でも人気が高い隠れた名店。安くて味よし、口は悪いが人情はある、そんな夫妻が必死に守ってきた暖簾は、昔も今も、給料前のOLさんや、少ない小遣いに泣いているサラリーマンの強い味方。また奏のように近くの大学生たちがやって来て、この口の悪いジジババとの丁々発止に、腹を抱え、腹を満たし、心身ともにほっこりとしていく。だから昼飯タイムも夕飯タイムも、人々でごった返しの食堂だ。決して革命的な味ではないが、昔ながらの基本に忠実な味は、いつきても、人の心に安心感を植え付ける。


先ほどから、カウンターの上にかかっている木札のメニューがぶらぶらしていた。手書きで書かれたなめろうご飯の文字が風子は気になってしかたがない。ご親切に、なめろうご飯の横には、(季節ごとの魚)と注意書きがしてあるのも、旬を大切にしている食堂ならではのポリシーだ。

「今度は、なめろうご飯をいただきに参ります!」

風子の真剣な眼差しに、奏が下を向いた。どうやら笑っているらしい。重田のじいさんとばあさんも、思わず顔がしわくちゃになった。よっぽど嬉しかったのかもしれない。

「いや、こりゃ、すげえグルメとやらが来ちまった!変なもんは出せねえな?え?」
「あたしゃね、風子ちゃんの食べっぷりを見た瞬間、わかったさ。エセじゃないよ、この娘は!ちゃんと本物の美味さを知ってる子だよ!」
「ああ、近衛の兄ちゃん、おめえ、ちゃんと捕まえとかなきゃ、大損だよ?こんないい娘、今どき、チマナコになったってお目にかかれねえやぃ!」
「そうだ、そうだ!たまにはアンタもいいこと言うさ!」
「たまにゃ余計だっ!」

ジジババ漫才劇場が繰り広げられる中、たかだか、”なめろう” と言っただけで、こうも褒めてもらえるとは思わなかった風子は、何とも恐縮してしまう。その上、だんだんと話が大きくなって、風子が、あたかも金のわらじのような、貴重な娘とまでの褒め言葉に何ともお尻のあたりがむず痒くなる。でも褒めてもらうというのは、やっぱり人の心を豊かにするものだ。風子だって、やっぱり嬉しい。ほうれみたことか!そんな気持ちで奏を見てやった。すると、奏とばっちり目が合った。また、何だと、悪態をつかれるのかと思いきや、風子の読みとははずれ、奏は黙っているだけだ。その上、何とも不可解な視線で、ただ風子を見ている。風子は急に居心地が悪くなって、目の前にあった湯呑をあわてて掴み、温い茶をゴクリと飲み干した。
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