餡子の行方

美味しいもの・不味いもの 3.

風子の目の前の皿にはショートケーキがまだ残っていたが、出来ればそれを残してでも、早く佳つ乃と別れたかった。いい加減帰り支度をしてもおかしくない時刻なのに、だが、佳つ乃は未だ席をたつ気配がない。風子は、小さくため息をついた。

「そうそう、、、、最近、、、彼、奏のことなんだけど、、風子ちゃんのために、計算ソフトを教えてるんでしょう?」

コーヒを飲みながら、何気なく話題をふられた。奏はなんでも佳つ乃に話しているのか、、、恋人なのだから当たり前のことだけれど、、風子の心がずんと鉛のように沈んでいく。

「でも、風子ちゃんも随分ね?」
「はい?」

今度は佳つ乃が大仰にため息をついた。

「覚えが悪いからって、かわいそうに奏はゲームを毎晩徹夜で作ったのよ?それでも上達が遅いんですって?」
「え?」
「ほら、やってるでしょ、ゲーム、USBの?」
「あれ?ショーニィが、、作った、、?」
「そうよ。毎日仕事で疲れてるのに、その後、必死でプログラミングして、、、」
「え?」
「今だって、毎週ゲームの修正してるでしょ?」
「修正?」
「はあ、、、かわいそうね、奏。風子ちゃん、なんにも知らないわけ?あれを作るのがどんなに大変か、、、奏の貴重な時間が、そんなことに費やされるのよ?」

佳つ乃は、呆れたように又ため息をついた。少し苛立っているようにも見えた。

「そうよ、あなたのレベルがあまりにひどいからって、毎週、風子ちゃんからUSBを借りて、レベルを落とすため、プログラミングを直しているの。知らなかった?」

知らなかった、、、そんなに奏が苦労していたなんて、、、USBを貸せと持ち帰る奏に、風子は自分の実力がメキメキと上がったからだとばかり思っていて、ノーテンキなことばかり思っていた風子だったのに、、、奏は何も言わないから、、、、奏がそんなことを思っていたなんて、、、それでも風子のために時間を費やしてくれて、、、、もうだめだった、、、、風子の心はさっきよりももっと沈んでいく。佳つ乃の声が遠くで聞こえるようだ。

「、、、、色々、、、愚痴をこぼされて、、、もう、、、疲労も、ピーク、、、で、、、」

佳つ乃の言葉は何も風子の耳にはいってこなかった。奏は何も言ってくれないから、そんなことわからなかった。

「会社でも残業続きで、、この間なんて山本部長から、、」
「え?会社?」

佳つ乃は奏の会社のことにやけに詳しかった。まるで、同僚のような、、、

「ええ。奏の開発能力は本当に素晴らしいの。うちのエリートで、有名企業のセーフティシステムの構築とか、奏を名指しでオファーがくるの。」
「うちのエリートって?佳つ乃さんって、ショーニィと、同じ会社なんですか?」
「あら、やあだ、知らなかったの?ふふ、そうよ。わたしたち、ずっと一緒なのよ。風子ちゃんってちょっと鈍感よね?」

確か佳つ乃とは大学で知り合ったはずで、就職先まで、偶然一緒になるとは思えない。おそらく二人で示し合せたのか?奏の性格なら、仕事まで顔を合わせる、そんな面倒くさくてうざそうなこと、大っ嫌いのはずなのに、、、



『ねえ、奏、わたしも同じ会社行こうかな?』
『ん?そうだな、、俺の目の届くところに置いとかないと、他の男にちょっかいだされても嫌だからな?』
『ふふふ。』

そんな場面を想像しただけで風子の胸がツキンとなった。

そうだ、奏は言っていた。


『ツノは昔からもてたからな。』

『あれだけの美人だったら、そのうわべだけで男が寄ってくるだろうよ。』

奏だって男だ。自分の彼女が他の男に横恋慕されること、絶対に許せないに違いない。それなら、職場が一緒なら、いつも目に届くだろうし、、、そこまで佳つ乃は奏に愛されているのだ。風子は、もう愕然となった。どうしたって、彼女にタチウチできるはずがない。容姿だってスタイルだって、何より、こんなにも奏に愛されているのだから、、、佳つ乃の口から出てくる奏の話は、はっきり言って風子の知らない奏で、、、実際、風子や幹大の前では、絶対に見せない奏だ。別人のようで、急に奏を遠くに感じてしまう。まったく知らない男、、、、


「だからね、奏は優しいから何も言わないのだけれど、、、ここのところ風子ちゃんのお陰ですごく疲れていると思うの、、そう感じない?風子ちゃん?」

上の空の風子を現実に戻すように、佳つ乃の口調が少しきつくなったように思えた。だが、そんなことを言われても、風子にはわからない。奏は毎週金曜日、風子と風子の両親と食卓を囲み、会話を楽しみ、食欲も旺盛で、よく笑っていた。その後、風子の部屋でマンツーマンで教えてくれる時も、口は相変わらずの悪さだが、あくびをしたり嫌そうな顔したり疲労の色を見せたことは一度もなかった。


『お前、本当にもの覚えわりいな?』

そう言って、頭をコツンとこづかれたり、

『ゲッ!ブー子、何回食べられちゃってんの?』

何度も死んでしまったブーちゃんに同情するように風子をからかってみたり、、、

だが、口の悪い奏に少しばかり風子がショボンとすれば、ちょっとした飴もやってくる。

『ま、上達、亀更新だが、してる!してるぜ、風子!』

奏の言葉に一喜一憂している風子を見つめる奏の表情は、優しかったし、、、

『風子、お前、ちょっと ”falseの公式” 苦手だよな?』

考え込む奏は、

『じゃ、ちょっとUSBかせ!来週には持ってきてやるから!』

そう言って、USBを家に持ち帰ったりした。

あれが、風子の為の、レベル調整だったんなんて、ちっとも知らなかった。自分は本当に鈍感だ。風子は海の底に沈んでいくような感覚に襲われていた。

風子といるとき、いつも腹を抱えて笑う奏、あの姿が偽りだとは思いたくなかった。迷惑をかけているのだろうか。やはり、彼に負担をかけていることは間違いなかった。


「す、、すみません、、、わたし、、、」
「だから、奏がかわいそうだから、週末はゆっくり休ませてあげてるのよ。一緒に出掛けるのも遠慮しているのに、、、この間、動物園なんて人の多いところ行ったんですって?」
「す、、すみません、、佳つ乃さんとショーニィの会う時間、、なくなっていたんですね、、本当に、ごめんなさい、、、」

風子はもう、その場を逃げ出したくなった。何も知らなかった。そんなこと何一つ、知らなかった。だって、奏は何も言ってくれなかったし、、、さすがの佳つ乃も目の前でションボリとする風子をこれ以上責めたりしなかった。勝ち組の余裕なのか、笑顔を浮かべ、恥ずかしそうにささやいた。

「言いすぎちゃったかしら? でも、ふふふ、、そんなに落ち込まなくても大丈夫よ、風子ちゃん、、奏だって、、男だから、、、その、、わかるでしょ?」
「え?」
「例え一緒に出掛ける時間はなくても、、、その、、生理現象?男ですもの、、、だから、夜遅くとか、、突然来たりとか、、」

この先は想像にお任せね、と言わんばかりの口調で、佳つ乃は勝ち誇った顔をした。

「もう、彼、、すごいんだもん、、、その上、もう、、、」

佳つ乃の唇が淫靡に開く。風子を見下す女の顔だった。

「え?」
「わたしたち、相性がいいっていうのか、、、こんなこと話したのは、奏には内緒よ。うふふふ。でもね、わたし、初めて。こんなにいいのって、、ふふ。」

恥ずかしそうな声をだしているが、佳つ乃は自信たっぷりだった。つまり、風子のお守というか、カテキョー的な義務感にかられ、佳つ乃との逢瀬を邪魔されたとしても、男のさがは嘘はつかず、佳つ乃を求めるためには夜遅くなっても出向き、、、つまり、それだけ、彼女に執心しているということだ。


『ツノ、、、』

甘く囁くような奏に、うっとりとする佳つ乃がいて、、、


あまりに生々しいその現実に、風子は赤くなることも忘れ、ただ、茫然とするだけだった。いつもは絶対に残さない風子だが、皿に盛った干からびたショートケーキのスポンジが、いつまでも冷房にさらされて美味しさの魅力のカケラもみあたらなかった。風子はただ下を向いていた。
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