餡子の行方

ドーナッツは二番目に好き 2.

奏が東京にいないとわかっていた日々は、風子にとっては安らぎの日々といえた。勿論、奏に会えないのは寂しかったし、メールのメの字もくれないのもこれまた寂しかったけれど、だからといって自分から連絡するのも気がひけたし、ならば、出張に行っている間は、羽を伸ばすといえば御幣あるが、まあ、気持ちとしては似たようなもの。とりあえず、全ては奏が帰って来てからしかけようと思っていた。考えることは幹大も同じらしく、ポンとメールが入った。

【何してる?ご飯食う?】
【奢ってくれるの?】
【じゃあ、三ツ矢さん誘って〜(かわいいウフ絵文字)そしたら奢りましょ!】

幹大には悪かったが、ここのところ仕事終わりで、風子はミッツとつるんでいる。一見忘れてしまっている風子に見えるが、実は佳つ乃との修羅場は彼女なりにトラウマになっていると踏んだミッツの優しさで、カフェに寄ったり、居酒屋で飲んだりしている。


『幹大も誘おうよ。』 

と、風子なりに気を使って幾度か言ってみたものの、ミッツはスパッと切り捨てた。

『いいの、いいの。近衛兄このえあにが出張から戻ってくるまでは、女子会で楽しまなきゃ。』
『ショーニィが戻って来たって行けるじゃん?』
『ばっかねえ?】

呆れたように言われてしまった。風子はぷうっと膨れてミッツを睨む。

『何よ、行けるもん!』
『まずね、アンタ、近衛兄、とっ捕まえて白黒はっきりさせるって大きな仕事があるでしょ?』
『うん。』
『そうしたら、そのあと、もう、、、、ああなってこうなって、結局、近衛兄が風子を独占することになるのよ!』

ああなってどうなるのだ?と聞きたいのだが、ミッツにはおかまいなしに勝手なことを言われてしまい、風子には全く訳がわからない。まあ、だけれど、ミッツと毎晩飲んだり食べたりしゃべったり、気心の知れた友と美味い物を食べ、気兼ねなく過ごす、こんな幸せなことはないわけで、ならば、幹大を無理して呼ぶこともないと風子も思ったりする。




*****

「明日じゃない?近衛兄このえあに帰って来るの?」

戦いを前日に控え、今夜はイタリアン居酒屋でエネルギー補充だ。最近流行りの居酒屋で、木曜とはいえ、結構な女子でテーブルは埋め尽くされている。

「らしいね、、」
「全く連絡とってないの?」
「うん。」
「ずっと?あれから?あの女とやりあってから?」

ミッツは面白そうに唇の端をあげた。

「やりあってないもん。一方的に髪の毛つかまれただけ。」
「本当、怖い女ねえ。風子のこんなふわふわの髪を傷めるなんて、サイテー女ね!わたしがいたら、やり返してやったのに!ああ、悔しい!」

いなくてよかった、と風子は思う。ミッツがいたら、今頃、こんなところでのんびりとピザを食べてはいられない。おそらく、病院か、警察沙汰だったかも?などと思い胸をなでおろした。

「いい?今度こそ、近衛兄の首根っこ捕まえて、ちゃんとあの女とのこと、はっきりさせなさいよ!」

風子には、聞きただす自信がない。だいたい、奏の首根っこなど掴めるわけもない。黙ってしまった風子に、ミッツがカツを入れる。

「先手必勝!待ちぶせしなさい!」
「まちぶせ?」
「そう!近衛兄の家で待ってるのよ!」
「え?」
「近衛君は、わたしが明日誘い出すわ!ふふふ、心配しないで、一晩中でもひきとめとくから。」

ミッツから誘われれば一も二もなくついていくワンコロのような幹大を思い出し、風子はクスっと笑った。

「風子!アンタ笑ってる場合じゃないのよ?気合いよ?気合いっ!」




翌朝金曜日、幹大からメールが来た。彼はマンションの鍵まで貸してくれる、などとご丁寧なメールをよこしたが、それはやりすぎだと思い、丁重にお断り申し上げた。

【幹大、今夜はミッツと楽しんでね!】

即効のメールは、もうハートで埋め尽くされていた。

【(ハートマークの大行進)おう!三ツ矢さんにたっぷり可愛がってもらうつもり(ハート大行進)ショーニィと仲直りしろよ!いやしてくれっ!頼むっ!でないと俺にトバッチリが来る!(泣)】

幹大の情報によれば、東京駅17時50分着の新幹線で奏は帰ってくる。ただし、そのまま会社にも寄るかもしれないし、家に直行するかもしれないとのこと。東京駅から、奏たちの住んでるところまで、ゆうに40分。故に、風子は会社を即効であがり、マンション前で待つ作戦をとった。

奏たちのマンションは一昨年たったばかりのこじんまりとした建物で、6階建てだ。風子の家まで電車で40分ほどかかるが、地図的にはそれほど遠くない。車で飛ばせば15−20分程度の距離だった。マンションの正面玄関には、花壇の植え込みがあり、そこに座って待つことにしたのだが、現在19時をまわっても未だ奏の姿が見えなかった。4階の窓を見上げれば、真っ暗だから、留守なのは間違いない。たぶん、会社に立ち寄っているのかもしれない。

「はあっ」

風子がため息をついた瞬間、ポツンと、何かが降ってきた。

「あ、あめ?」

どんよりした夜空を見上げれば、何やら湿った空気を感じたが幸いまだ雨らしき水滴は落ちていなかった。いずれにしても雨が降りそうな雲行きだ。そういえば今朝天気予報のお姉さんが、夜遅くから軽く雨が降るかもしれないので、飲んで帰ってくる方や残業する方は折りたたみの傘をなどを、と言っていたのを思い出す。ならば、勝手な話だが、雨がふり始める前には奏に帰って来てもらいたい。

(早く、ショーニィ帰ってこないかなあ?)

何だかすっかり出ばなをくじかれ風子は肩を竦めた。昨夜、あれだけミッツに気合いをいれてもらい、風子自身、今日こそ奏に洗いざらい話してもらうつもりで朝からピリピリしたムードだったのに。




『あれ?風子先輩、何か今日眉毛がキリリとなってますけど、何かありました?』

気合いが顔にでていたらしく、今朝、凛子にまで突っ込まれてしまった。

『ううん、、あ、凛ちゃん、例の計算ソフトなんだけど、、』
『あ、はい、どうなりました?』
『あれね、ごめんね、市販されてないんだって。』
『え?じゃ、どなたかが作られたんですか?』
『ああ、、うん、、、お隣に住んでたお兄ちゃん』
『お兄さん?うわあっ!』

凛子の声が珍しくテンションが上がったように見えた。眼鏡をかけてとても地味な顔に見える凛子だが、実は肌がきれいで、隠れ可愛いギャップと風子は内心思っている。今も、何だか、話の焦点とは少しずれた お兄ちゃんという言葉に萌えたのか、頬が紅潮していてとても可憐に見えた。

『風子先輩、そんな人がいるなんて一度も言ってなかったじゃないですか?』
『そんな人って、だって7歳も上だし、っていうか、ずっと会ってなかったし。』
『うわ、何か萌えええ的な展開ですねえ。うわ、興奮します。』

いつもは冷静な凛子だが、何故かこの話はとても食いつきがよかった。挙句、昼ご飯とっつかまってしまい、凛子と一緒に定食屋で食べることになってしまった。


『え?彼女いるんですか?』
『うん。大学時代からずっと、会社まで一緒の人。』
『へええ、なのに、風子先輩にあんなソフト作ってくれたんですね。』
『うん。』
『風子先輩、進歩ハンパないですものね。アレ、結構カスタマイズ大変だと思うんですけど?』

凛子は、理系らしくプログラムの観点から色々と思考を及ばしているらしい。

『うん、なんか彼女も言ってた。だから、わたしのコンピュータの腕をあげるため、ショーニィ、ああ、あの幼馴染のことね? そのショーニィがそれを作る時間で、彼女と会う時間が減って、、なので彼女がちょっと機嫌悪くなっちゃって。』

風子は、かいつまんで佳つ乃のことを話したが、奏と体の関係を持ったことは、端折って話を続けた。そして今夜、いよいよその佳つ乃とのこと、そして自分とセックスした理由、それを奏に聞く!そう決心したはずなのに、やっぱり風子には臆病風が吹く。珍しく、本当に珍しく、少しばかり食欲がなくなった風子は、コロコロと転がる丸いポテトの破片をフォークで皿の上で遊ばした。それを見ていた凛子は、何かを感じ取ったのか、思い切った口調でこう言った。

『風子先輩、、さしでがましいようなんですが、、』
『ん?』
『あのソフトなんですけど、、、勿論わたしは実際に見てはいないから何ともですけど、、けど、でも、風子先輩の話だと、かなり高度なソフトゲームだと思うんです。』
『え?』
『それって、一朝一夕で出来るシロモノじゃないんですよ?』
『どういうこと?』
『たぶん、もともと基礎になっていたゲームソフトは、そのお隣のお兄さん?作ってたと思うんです。機会があれば、転職するときとか、何かに応募するつもりだったとか、、、』
『へえ。』
『だから、風子先輩のためにカスタマイズするソフトをもう一度プログラミングし直すのって、まじに、結構な修正なんですよねえ?その上、毎週、毎週、風子先輩の進歩にあわせて、ゲームソフトも進化させてたとなると、かなりの労力で、、、普通は、よっぽどのことがないと、、そんな面倒なことしませんよ!』
『よっぽど?』
『ええ。たとえば、お金が必要だからとか、、』
『だって、ショーニィは一流企業だし、、お金には困ってないと思うけど、、』
『ええ。だから、お金じゃないとすると、、例えば、、』

そこで、凛子はフォークを皿にカチャリと置いて、風子の顔を見つめた。

『好きな人のためとか?』
『え、だって、佳つ乃さん、そのお陰で、ショーニィと会う時間が減っちゃってるんだよ?』
『だから、風子先輩、例えばの話ですよ、例えば、、』
『ああ、例えばね。』

風子は、全く何も感じるところがないのか、先ほどころがしていたポテトをパクリと口の中に入れた。

『はあ、、本当に風子先輩って理系の頭じゃないんですねえ?』

何気に凛子から失礼なことを言われた風子だが、頓着そうに、えへへと笑った。

『いいですか?わたしの例えを、違う人間に置き換えてみるっていうか、Y=X+1の公式みたいな?』

じれったくなった凛子が、風子に呆れた声を向けた。だが、その後優しくこう付け加えた。

『うまくいくといいですね?』




マンションの前で待ちながら、凛子のXY方程式を思い出していた。Yが奏なら、Xは佳つ乃だろうか?はてなだけが頭の中を駆け巡る。

(凛ちゃんの言ってること難しくてわかんない!)

風子は愚痴がでる。凛子のせっかく言ってくれたクルーも、風子の前では役にたたない。こうなると、今の風子は、奏が自分のことをどう思っているのか聞きたい!ただそれだけだ。今だけは、佳つ乃がいようといまいと、その存在を忘れて、奏の気持ちだけを聞いてみたい!その想いが強くなる。

/ポツン、、/

「あれ?また?」

おでこにあたった冷たい水滴、、、、

(やば、、今度こそ、、雨?)

けれど奏はまだ帰ってこない。風子は、夜空を恨めしそうに見上げながら、奏の帰りをひたすらひたすら待っている。
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