餡子の行方

想う人・想われる人 1.

何やら、風子の背中できゃあきゃあ騒がしそうだと思いながら、必死に風子は奏の元へ駆けつける。だいたい、変な話だと思う。19年ぶりの対面なのに、奏のあの態度はいかがなものか?あれは、昔から、奏がチビすけ二人組の風子と幹大の面倒を見ているときに必ず言う言葉。『さあ行くぞ』 砂場でトンネルをつくっていても、ブランコでどんなに高く飛ぼうと漕いでいる最中でも、駄菓子屋さんでお金もないのにじっとお店のショーケースを見ているときでも、どんなときでも、この『さあ行くぞ!』の奏のコールは絶対だ。二人はこの言葉を合図にコロコロと奏のところへと駆け出していった。ダダなんてこねようものなら、『もう遊んでやんねえ。』という脅し文句を言われてしまうのだから、鳥の親子のようなスリコミ現象の如く、二人は奏の命令にはイチもニもなく絶対だった。習慣とは恐ろしい。19年経った今でも、『さあ、行くぞ』これには軍曹の号令のような威力を発揮する。現に、幹大だって、風子に急げというアドバイスをしたのも、結局、この習慣が体に染みついているからだといえようか。なので今は、とりあえず奏のところへ、飼い犬のようにコロンコロンと走っている風子なのだ。

「し、ショーニイ、、」

息があがる。たかだか歩道を何メートル走っただけだと言うのに、、情けないのだが =まあ言い訳をするのであれば酒も入っていたし=、風子の息がはあはあとあがり、肩が上下する。

「久しぶりだな。」
「え?」

ふわりと頭をくしゃりとされた。今、目の前にいる奏は、風子が覚えていた思い出の中の “背の高いショーニィ“ を遥かに超えていた。155cmの風子の遥かかなたに奏の顔があって、チタンフレームの奥の瞳が風子をじっと見つめているような気がした。風子も顔を見上げてみるものの、さらりと奏は髪をかきあげて風子から視線をそらした。

「ショーニィ、、どこ行くの?」

またまた奏にクルリと背中を向けられた。初めて落ち着いて立ち止まってみれば、風子は随分と理不尽に思えた。ずっとずっと音信不通で、きっと未だアメリカか、どっか遠くで暮らしていたのだろうと、この20年近くそう思い続けてきた。それが、今夜いきなりばったり偶然、幹大と出会った流れで、ひょっこり奏までやってきた。そりゃあ、風子は奏に会えたのは嬉しいけれど、でも、同じ東京に、ずっとずっとずっと住んでいたのなら、何故もっと早く会いに来てくれなかったのだろう。風子の実家は昔も今も同じところで住み続けているのだから。そう思うと、奏にとって =勿論幹大にとっても= 風子なんて、わざわざ会いに来るに値しなかった人間なのかもしれない。風子の想いと、奏との思いの温度差。ならば、ずっとずっとずっと放っておいてほしかった。何かの気まぐれでこんな風に会いに来て、そして、いきなりどこへとも言わず風子を好き勝手に翻弄するなんて、、、

「んもおお!ちょっとショーニィ!」

風子の堪忍袋の緒が切れて、夜の街にその怒りが響き渡った、、はずだったのだが、、、

/ファン!ファン!フアアン!!!/

同時に、すぐ先で止まっている車からクラクションが聞こえた。どこかリズミカルに鳴ったクラクションは、風子の怒りの声よりも甲高い音で風子の声にかぶさった。前を歩いていた奏が、クラクションが聞こえてきた車に向かって手をあげた。

「え?」

風子は驚いて立ち止まった。だが奏は先ほどよりも大きな歩幅で、車へと近寄って行く。まるで待ちきれないと言わんばかりの速度で、ずんずんと先へ、風子を置いてけぼりにして、行ってしまった。奏を視線で追えば、クラクションを鳴らした車の助手席の窓がスーッと開いた。

「あ、、、」

思わず風子の口から漏れた驚き。助手席から顔を出した人影は、女だった。ロングヘアーが目に飛び込み、そこに、スラリと伸びた奏が体を曲げて親密そうに、窓に張り付いている女に顔を近づけた。顔と顔がすごく近くて、奏は笑っているようにみえる。

(ショーニィの恋人、、、、、)

風子は頭が白くなった。何が何だかわからないうちに、勝手にこんなところまで連れてこられて、、そして、奏の彼女の存在を何故知らなくてはならないのか。瞳孔が開いたように、ただ、風子の瞳は見開かれているだけ。

「ふうこっ!」

何度か風子を呼んでいたのかもしれない。ひときわ大きな声で風子の名前を呼ぶ奏の声が、夜の闇に広がった。風子はあわててボヤケタ焦点を奏にあわせた。背筋をピッと伸ばした奏は、ますますスラリとして素敵に見えた。彼は風子においでおいでと左手をあげてこまねいている。重い鎖を引きずったような足取りで、それでも奏の言うがまま、風子は車へと近づいて行った。

「うわあ、風子ちゃんだあ!」

窓際から少しだけ顔をだしていたロングヘアーの女の歓声があがって、助手席のドアが開いた。

/バタン/

「楽しみだったのよぉ、会えるのが!」

涼やかな声だと思うと同時に、頭を横にしてさらりと長い髪をかき上げた女は、まるでテレビの中でお目にかかる世界の人たちのように、煌びやかで華やかさがあった。彼女が車から降りて風子に近づいてきた。ミッツもかなりの美人だけれど、こちらの方が、ミッツよりもだいぶ線が細くたおやかな感じがする。現に体もスレンダーで、紺のボーダー柄のタイトスカートはダンガリーシャツをスカートの中に入れているのに、まだ余裕があるくらいゆとりのあるウエスト、、、ストライプならいざしらず、風子がもし、この手のボーダー柄なんぞ着たら最後、1.5倍は太って見えるというのに、、あまりの美しい着こなしに、風子は思わず顔をそむけたくなった。ふと、夜風がふわっと吹き抜けた。奏の恋人らしい女が黒髪を押さえながら、風子の方を見て笑った。風子の髪はくせっ毛の猫っ毛だから、ちょっとした風でもすぐにひゃんとなってくちゃくちゃだ。風子の顔にぐちゃぐちゃになった髪の毛がかかって、あわてて手でかき分ける。ふわりとそろえたおでこの前髪に手ぐしをかけて、髪を両側に整える。

/クスッ/

やっと見通しの良い視野が広がれば、女の肩が上がり、小ばかにしたような笑みを浮かべている。隣の奏だって、眼鏡の奥の瞳を細めて、じっと風子の仕草をみているようだ。

(ば、馬鹿にしてる、、、)

顔が赤くなった。猫っ毛とくせっ毛の髪質は、風子にとってコンプレックスのひとつ。湿気に左右されてしまう髪の毛は、最悪ぺちゃんことなって、顔にまとわりつくので、ますます大きな丸い顔が目立ってしまう。だから、なるべく顔の体積密度を =見た目だけでも= 少なくしようと、前髪を切りそろえおでこを隠す。けれど、いつだってふわふわとしている前髪は額を隠す重要任務を忘れたかのように、風子が動くたびにふわんふわん舞っている。ミッツはそれが可愛いと言ってくれるが、それは親バカならぬ、親友バカといったところか。柔らかく大きめのウエーブパーマでほっぺの位置まで、ふっくらボリュームを持たせたマッシュミディアムヘアースタイル。こんな丸っこいヘアスタイルでは、益々丸くみえるのではないかと常々思う風子だが、風子を子供の頃から担当している美容師さんの常套句。

『ふうちゃんらしいから』

昔から風子の持ってくるアイドル写真やらモデルさんたちの写真を却下し、頑として首を縦に振らないのである。そんなことを思い出し、今、奏たちに笑われた風子は、美容師の顔を思い出し、恨めしく思った。


「自己紹介させてね。」

奏が何も言わないので、女が少し前に出る。

「柳 佳つ乃(やなぎかつの)です。初めまして、、ふふ、風子ちゃんのことは奏から聞いてて、会いたいなあっていつも思っていたの。」

風子は、操り人形みたいに、ただ頭を不自然に下げた。胸にうずまく荒れる感情を何とか抑えながら、佳つ乃を見て、心の中で勝手に白旗があがっていく。長い睫がくるりとカールしていて、その間から大きな瞳がキラキラしていた。大きく見開いた瞳が風子を見つめている。彼女はまるで昔遊んだスタイルの良いモデル系バービー人形のようだ。佳つ乃が話し始めると、何よりも目が釘つけになってしまうのは、ツヤツヤしていてぷるりと弾力ありそうな横に広がった唇だ。女の風子でもドキリとなるその唇に、男なら誰だって心惹かれずにはいられないだろう。奏だって、きっと、、

「ねえ、奏、ちょっと何とか言ってよ?」

ずっと黙ったままの奏に、親しげに佳つ乃が、ツンツンと奏の腕を肘で突いた。大きな瞳が少し上目使いになって、可憐な感じがした。綺麗系なのに、かわいらしい、それがギャップ、奏もあわてて佳つ乃のフォローに入る。

「ああ、大学時代からの腐れ縁。」

親指を立て無造作に佳つ乃に向け、ただ一言だけ。恋人でも、フィアンセでも、パートナーとも言わなかった。だからといって風子が奏の言葉そのものに一喜するほど、ナイーブではない。風子だって今まで片思いや恋愛の始まりくらいは経験がある。その度に傷ついて辛い思いもしてきたわけだから、、だから勝手な期待がむくむくと出てくる前に、心の奥へと押しやった。

「ん、もお、奏ったらブッキラボウなんだから、そんな言い方じゃ風子ちゃんに誤解されちゃうわよ?ね?」

何を誤解していいのか、それさえもわからない風子に、佳つ乃は、奏に対して意味ありげな微笑を向けた。

「じゃあ、積もる話もあるでしょう?わたしはこれで、、、」

佳つ乃は風子に、会釈代わりに顔を少し傾けた。黒髪がサラリと彼女の頬に落ちた。だが言葉とはウラハラにその場を立ち去らない佳つ乃は、奏からの言葉を期待しているように見えた。
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