シークの涙 第二部 永遠の愛 

12.

女は、いや、ジーナ シャダーウーは小高い豊かな胸を上下に揺らし、まだ、はあはあと息が荒い。狂うほどの快楽に溺れ、意識を手放す前に聞いた男の声。


<<ジーナ シャダーウーだろう?>>


だが、ジーナは自分をこんなにも翻弄し乱したサングラスの男に見覚えはなかった。会っていれば、肌さえあわしていれば、こんな激しい男を忘れるわけがない。モーセを思い出させるような威圧感、、こんな男は一度会えば忘れない。

「お客さまは、確か石油王であらせられるスールシャム会長からのご紹介、、お名前は、、たしか、、、?」

まだけだるい体をゆっくりと起こしながら、ぼおっとなった頭で記憶を蘇らせる。

「ふん?そんなに俺はよかったか?俺の名前が思い出せないほどに。」

珍しくジーナは顔を赤らめ、すぐさま床に落ちていたマスクを拾い顔を隠した。

「シューマ ナタスさまでございましたね?前にお会いしておりましたでしょうか?」
「おや、アンタは否定はしないんだ?あの絶世の美女でペルーシアの男たちを虜にしていたベリーダンサーのジーナ シャダーウーってことを?」
「ふん。今さら、そんなことを否定したところで何も得は致しません。ええ。おっしゃる通りです。ただし、絶世の美女のベリーダンサーってえのは、もう違いますけどね、今はただの、いえ、醜い顔を持つジーナ シャダーウーでござんすよ。ダンナさま。」
「へえ?醜い顔ってえのは余計だぜ?」
「え?」
「アンタ感度よかったし、最高の女じゃねえか?え?」

心なしかジーナの指先が震えてみえる。それは、もはや、いっときの栄華に生きていた絶世の美女ダンサー ジーナではなかった。顔が醜くなったときから、男たちの蔑みものとしてだけ生きてきた心も体も泥まみれの醜い女がそこにいるだけだ。

「それでジーナ?アンタ、噂では亡命したって話だったぜ?」
「ええ。そのつもりだったんですけどね、まあ、ご時世もすっかり変わったわけですし。」

ジーナは、アショカ・ツールの愛人で、彼のいいつけでモーセの身辺を嗅ぎまわっていたこともある。 また少女たちを食い物にする集団レイプ事件にもかかわっていた疑惑もあった。だがそれは証拠不十分のため罪に問われず、またアショカ・ツールの逮捕前に逃亡したこともあって、アショカが起こした一連の事件には警察は無関係と結論付けた。

「丁度、いいビジネスパートナーが見つかりましてね、だから戻って来たんですよ。それで共同経営としてこの宿を、ふふふ。」

意味ありげに笑う。それは、少女愛好家のための売春クラブは儲けが大きく危険が少ないとでも言っているようだ。偏執的な嗜好に近い金持ちの道楽はここにくればその欲求は大いに満足される。だが、客自体、社会に出れば高い地位に身を置く人間ばかりで、それこそ、そんな醜聞が世間に漏れ出れば社会から抹殺されてしまうだろう。そして、この売春クラブは法スレスレのグレーゾーンで経営が成り立っている。よって、売春宿と客の間で互いの秘密を共有することで他言無用。ギブアンドテーク、客は高い金を払い宿は幼女たちを提供し、互いの秘密は守られるというわけだ。

「それでシューマ ナタスさまも本当のお好みは、幼い娘たちでございましょう?ほほほほ。」

高笑いをしているらしいジーナの声は、マスクの布に阻まれこもった笑い声になっていく。この男のあの猛々しく立派なものでは、まだ未発達の少女たちの中はきっと切れて裂けて悲惨なことになるやもしれない。ジーナはじっとりと汗をかいた。そうやって泣き叫ぶ子供を犯すことでエクスタシーを感じることしかできない男をジーナは幾人も知っていた。大概の偏執狂たちは大人の女に相手にされず、その性欲のはけ口を幼女に求める。だが、この男は何故好き好んで幼女を抱きたがるのだろう。大人の女を十分に満足させることが出来る魅力的な男なのに、、、

「ここでの一番の年若は、いくつだ?」
「ほほほほ、ここだけの話でございますが、、、昨夜11歳の娘が入って参りましたよ?」
「ほおお?それで?」
「勿論まだ、どこぞにもお披露目はしてませんがね?」
「わかった。俺に譲れ!」
「おやおや、それは無理ってものでございますよ。どのお客様も皆さま、喉から手が出るほどほしがる上玉。」
「いくらだ?」

男は気が短いらしい。ジーナと商談のやり取りをするつもりはないらしい。即座に回答を求めている。

「そうですねえ、それでは100万ピーセルでは?」

ジーナは無理を承知に男にふっかける。だが、このシューマ・ナタスはあっさりと頷いた。

「わかった。来週、用意しよう。」
「え?」

金持ちはケチが多く、なんだかんだ言っては言い値を下げられる。だがこの客はあっさりと法外な値を受け入れた。これはかなりの上客だと言える。マスクから見えるジーナの瞳がギラギラと輝いた。

「その代り、その子供、俺が来るまで他の客に指一本でも触らせるな、いいな?」
「勿論ですわ。お待ちしておりますよ?ダンナさま?」
「ところで、この宿に何人くらい用意されているのだ?」
「12歳は3人、13歳は6人、14歳15歳は合わせて10人でございます。」

男は何も言わなかった。黒いサングラスには全く瞳が映らない。男が何を考えているのかジーナには全くわからなかった。




******


『お兄ちゃん、、、あ、、ごめん、、なさ、、い』
『マリー、、マリー!』
『わた、、し、、お兄ちゃん、の、、、こと、、、』
『マリー!』

『大、、す、、き、、、、、だっ、、、た、、、』

『マリアム!!!!!』

真っ赤な液体がラビの足元から湧いてきて、それは止まることなくドロドロと流れてラビを襲う。

『マリアームッ!』

/はっ、、、/

汗がしたたった。背中にべたりと湿ったシャツがっくっつく。思わずガバリと身を起こし、ラビはベッドから抜け出した。誰もいないガランとしたリビングで一人酒を注ぐ。

/トクトクトク/

毎晩見るわけではない。けれど、忘れそうになる頃、あの枷を思い出せと言わんばかりにまた見る夢。グラスを無造作に口に持って行きゴクリと飲んだ。熱い火の玉が喉を零れ落ちていく。ラビは目を瞑りそのまま天井を仰ぐ。原因はわかっていた。今日の昼、珍しくサビーンがやってきたのだ。用件はエティのこと。エティとダリオの兄妹は、どうしても自分たちの過去をなぞるようで、二人を見ていると時折、辛く苦しい出来事が頭に過る。ハナはラビの妹に面影を映し、幼いエティに幼い頃の妹がだぶる。だから、サビーンと話をしていて、夢をみたのかもしれなかった。


『シークは本日、終日不在ですが、、サビーンさま?』
『あら、そう。』

サビーンは勝手知ったるラビの個室の来客椅子に座った。

『今日はあなたに用があるんですから。』
『わたしに?』

ラビもデスクから立ち上がりサビーンの方へと移動した。


『エティの声のこと聞いてるわよね?ラビ?』

サビーンはいきなり用件を切り出した。現在ダリオ・エティ兄妹はラビの豪華マンションで一緒に暮らしている。ハナの心の負担を軽くすべく、あの二人の面倒を見ることに手をあげたラビで、実際、彼自身、保護者代わりだという責任で二人を預かっている。

『はい、ハナ様から、色々と検査の度に話していただいております。手術すればかなり高い確率で声がでるようになるのだと?』
『ええ。その通り。わたしね、アメリカに飛ぶことにするわ。』
『え?』
『実は、この間の検査の結果、エティの喉に腫瘍らしきものがみつかったの。』
『それは?』

ラビの顔色が変わった。愛らしいエティの姿がすぐに目に浮かぶ。

『うん、、、もう少し検査してみないとよくわからないの。』
『けれど、細胞診で悪性と判断されても、切ってしまえば大丈夫なんですよね?』
『甲状腺の腫瘍ってね、悪性とか良性とか、、あるいは、単なる腫れなのか、、ってちょっとわかりにくいのよ。例え細胞診で検査しても、悪い細胞がすごくわかりにくい顔をしているんですって。』

サビーンは専門外のため、アメリカの医師からの話をラビに聞かせる。ただラビが必要以上に心配しないようにと専門的知識も交えて説明を加えた。

『でね、子供だと検査を何度もするのは辛いだろうからって、、、出来ればエティにアメリカに行ってもらってそこで集中的に検査して、ついでに声帯手術もしてしまったほうがいいって専門家が言うのよ。』
『、、、、』
『まずは、わたしが現地に飛んで、担当医師と綿密な話し合いをするつもり。エティのための受け入れ段階準備をして、それからエティにもアメリカに来てもらう。その際なんだけど、、、』

言いにくそうにサビーンが言葉を濁した。ラビはすぐに力強く答えた。

『ええ。わかりました。シークにお許しをいただき、わたしがエティに同行いたしましょう。』

サビーンの顔がぱあっと明るくなった。

『え?嘘?ラビがじきじき来てもらえるの?それは助かる!エティだって、ラビなら心強いはずよ。本当はハナだったらいいんだけど、、、でも、、、』

エティはハナを姉のように慕い、ハナも彼女を妹のように受け入れている。二人は、強いきずなで結ばれていて信頼関係も絶対だ。だが、ハナがアメリカに行くには無理がある。勿論モーセがまず許すはずもないが、それ以前に、声がでないハナが慣れない外国ではハナ自身が苦労するはずだ。今はエティの手術だけに集中したいサビーンとしては、ハナにまで気をまわす余裕も時間もないことを危惧していた。

『わかりました。それでは早急に準備をしなくては。』

ラビの脳内が素早く動き始める。

『サビーンさま、、、それでどのくらいの費用を用意すればいいのでしょうか?』
『あら、お金のことは大丈夫。』
『といいますと?』
『うん、エティの件はわたしが全額負担するから。』
『それはいけません!』

珍しくラビの言葉尻が強くなった。

『サビーンさまは、実際の手術や病院面をサポートしてください。実際の費用はわたしが面倒をみます。』
『ラビ、、』
『勿論、会社になど請求は致しませんよ。そのくらいの費用はわたしだって貯えがございます。』

そのくらいとラビは言ったが、実際にはペルーシア王国の都心ナイヤリシティでちょっとした一軒家が買えるくらいの資金が必要だった。

『ラビ、、、そういう意味じゃないの。エティはハナから頼まれた大切な子なの。一時はハナをわたしの養女にまで真剣に考えてたこともあるわ。そのハナの大切な子供なんですもの。』
『え?』

サビーンのそこまでの思いはラビは知らなかったので、思わず、驚いた声が出てしまった。

『今となってはモーセに取られちゃったけど、、、けれどまた天からの贈り物が届いた気がするの。だからエティをね、、、ダリオと一緒にわたしの養子にしようかと。』
『それはいけません!サビーンさま!』
『あら何故?わたしは、たぶん一生独身よ?病院と家との往復で、この先一人ぼっちで生きていくのなんて、、わびし過ぎるわ、ふふふ、そう思わない?』

冗談めかして言うサビーンの瞳に、一抹の寂しさが浮かんだように見えた。独り身で孤独のラビにとっては、サビーンの気持ちが痛いほどわかった。だが、サビーンは自分とは違うのだ。サビーンは美しく聡明で、この先いくらだって人と出会う機会はあるだろう。年を重ねていくたびに益々魅力的なこの女性を、男たちがほっとくわけもない。

『サビーンさま、あなたさまはそこまで彼らに責任を追う必要はないのです。わたしはあの二人を受け入れた時、一生面倒を見ようとそのつもりで一緒に暮らしております。』

ラビも引き下がらなかったが、サビーンはそれでも首を縦にはふらなかった。

『この話は、きっと平行線よ、ラビ。けれど、もっと難関があるわ。』
『ハナさんですね?』

ハナはきっとサビーンやラビ以上に、エティやダリオへの想いは深い。聡いハナのことだ。エティと一緒にアメリカに行くことは、みんなの足手まといなると思い、同行するとは言わないとしても、お金のことはきっと強く主張するだろう。だがハナは金銭面でモーセにはきっと頼りたがらない。となれば、そんな大金を工面しようとするハナは苦悩するに違いない。

『そうなのよ。ハナにはなんて言えばいいのかしら?頭が痛いわ。はあっ』

サビーンは思わずため息をこぼした。サビーンの豊かな表情は、時としてラビには羨ましい。彼だって、思いっきり、感情をむき出しにしたりしてみたい、そんな風に思うこともある。だが、ラビにはそれが出来ない。遠い過去の思い枷は、彼の心を重く暗い沼へと落としていくように、その重さに身動きできないのだ。

『わかりました。サビーンさま、その件もわたしが何とか策を講じましょう。』
『ハナを傷つけないでよ?ラビ。』

きらりと光るサビーンの瞳は真剣だ。彼女にとってハナを傷つけることは、絶対に許さない。許せないことだ。勿論ラビがハナを傷つけるなんて思ってはいない。だが、あの男、トリパティ部族のシーク、モーセ モイーニ、彼女の血のつながったイトコは、時としてハナを傷つける。モーセの下で働くラビは己の意図しないことでもモーセの命令のままにハナを傷つけてしまうことを、サビーンは危惧しているのだ。何と鋭い話だ。ラビは、心臓がドキンとなった。遅かれ早かれユリカのことはサビーンの耳には入って行くのだとしたら、この際、アメリカに行く前に白状してしまうべきだ、、ラビの脳内に警告ランプが光った。

『サビーンさま、、実は、』

ラビは、ユリカがモーセの愛人になった経緯をサビーンに説明し始めた。

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