シークの涙 第二部 永遠の愛

6.

「つまり、これといった女性との間にしか子を成さないのよ。」

サビーンは自信たっぷりの声音で、モーセを語る。

「モーセが付き合った今までの女性は、一度も、おそらく膣内で射精されたことはないはずよ。」
<そ、、それって、避妊してるのに?>
「そう。モーセは、避妊具は100%安全だとは思ってないのよ。一番安全なのは、例え避妊具を使用しても、射精をしないのが一番だと考えている。わたしの知っている限り、彼のセックスの仕方は、昔からペルーシア王国に伝わっているマハーカ聖典の教えの通り、女性は何度もオーガズムを感じさせて絶頂に登りつめても、己は決して達しない。ことが終わった時点で、トイレとかで処理をするという営みを実践しているはずよ。」

サビーンは、そうでしょう?とばかりにハナに同意を求めるように、一人頷いた。

だが、ハナは腑に落ちなかった。確かにモーセはハナの中に直接子種を出さないけれど、スキンを使って、ハナが達くとき、モーセも一緒にスキンの中で白濁を吐き出すことがある。それはどういうことだろうか。モーセに抱かれるとき、ハナは数えきれないくらい達ってしまうのに、肝心のモーセは1、2回の程度で一緒に達するため、射精の回数は確かに少ないかもしれない。それでも実際にはハナと共に達することは事実だ。ならばモーセはマハーカ聖典の教えを破っていることになる。それはハナが軽んじられているということだろうか?だが、それをさすがに聞くことは例えサビーンにもハナにはできなかった。何だか、怖い気がした。

「だからね、ハナは心配することはないのよ。モーセの精子はかなり強いはず。その気になれば、そのうち、ボコボコと子供出来ちゃうんじゃない?ふふふ。」

そう言って、綺麗な人差し指で、ハナの鼻先をチョンと叩いた。どうやら今度は本当にからかったようだ。

<んもおおおおっ!!>

真っ赤になったユデダコのように、ハナの顔がボンっとまた一気に赤くなった。

「それにね、万が一のことを考えてモーセはね、、って、まあ、これはいいか。」

そう言って、サビーンはこの話は終わりとばかりに、温くなったコーヒーを一口また飲んだ。その後、真顔になって今度は声を潜めた。

「エティのことなの、ハナ。」
<え?>

エティと聞いては、ハナも真剣な顔になった。

「彼女の声帯手術、たぶん、可能性は十分ある。今ね、どの執刀医がいいかそれを検討中。執刀医が決まれば、もっと具体的な話も出来るし、またそれに必要な検査もしなくちゃならないんだけど、、、、わたしは、現地に飛んだほうがいいと思ってる。」

ハナも自分も同感だとばかりに、こっくりと頭を振った。サビーンに任せておけば安心だ。彼女は今、世界中から、名医と呼ばれる医師を検討してくれおり、それが決まれば手術はアメリカですることになる。だが、そうなるとエティに誰がついていくか、また費用などの問題も出てくるのだ。ハナは、あのときのダリオを思い出していた。

ハナと出会った頃のダリオは、大切な自分の妹のため、いつかアメリカで手術をさせてやろうと、必死に金を稼いでいた。犯罪すれすれのこともやってのけたのは、全てエティのためだった。そして、きっと役に立つからと、なんとか、アメリカンイングリッシュの手話も学んだ。貧しい中でもダリオは必死にエティを守り、そしてエティはダリオに寄り添い、幼い兄妹は懸命に生きていた。そんな境遇に、ハナは人ごとと思えなかった。どうしても、エティに手術を受けさせてやりたかったし、妹思いのダリオの将来の扉も、少しでも大きな可能性を持たせて、開けてやりたい。だから、ハナはモーセに懇願した。


『ダリオに生きる知恵を教えてください。』



真剣なハナの瞳に、モーセは優しくそっと髪を撫でてくれた。その夜、即答はなかったけれど、ハナは知っていた。モーセならきっと手を差しのべてくれると。何日後、ラビが屋敷に呼ばれ、モーセ、ハナ同席の下、ダリオと対面した。モーセはの威圧感は半端なかっただろう。それでもダリオは体中の震えを押さえ、必死にモーセの瞳を凝視していた。

やがて、モーセは表情を変えず、目の前に少年に、いつものような口調で尋ねる。

『お前は、何が望みだ?』

『俺は、金がほしい、、です。』
『それは何故だ?』
『エティに手術をさせてやりたい!声を、もう一度取り戻すんだ!』

ダリオの言葉に、モーセの眉根が寄った。ラビも顔色が変わった。ハナと同じ境遇の妹だからか、それともダリオの真剣な瞳に、それぞれの胸に湧き上がる気持ちがあったのか、しばらく沈黙が続いた。一人、居心地の悪そうにしているダリオに、ハナは頑張れと言わんばかりに、笑みを浮かべ微笑んだ。ダリオの拳に力が入った。

『だから、俺を、どうか、シークの下で働かせてください。』

ダリオの言いたかった言葉、、、彼はモーセにひるむことなく口に出せたので、安堵で肩の力がどっとぬけた。だが、すぐに冷たい声がする。

『ふん!あさはかな!そんなことでは、お前の妹の手術代など、一生かかっても貯めれるわけがない。』
『え?』
『目先のことにとらわれるな!もっと考えろ!』

モーセは席を立とうとする。子供だとて容赦しない。それまで黙って見ていたハナが心配したように、モーセの袖をそっと掴んだ。それは、非力で自信なさげなハナの仕草だ。モーセはあまりにダリオに過多な期待をしすぎていて、それで失望してしまったのではないか。

ダリオは悔しそうに唇を噛みしめた。だが、下を向いた顔をぐっとあげ、挑戦的にモーセの瞳を睨んだ。

『じゃ、俺に投資をしてください。俺は、知識が足りない。世の中の儲かる仕組みを勉強で身につけさせてください。』
『ふん、このわたしに学資をだせというのか?』
『はい。お、俺が学問を身につけたとき、モイーニインベストメントは、絶対に今よりもっと儲かる会社になる!』

ダリオは、モーセだろうと負けないように、キッと睨んで見上げた。彼の瞳は、黒目が大きく、何一つ汚れてないまっすぐな瞳だった。根拠のないものとはいえ、この少年の疑わない自分への自信と誇り。それは少年といえども、モーセやその場にいた大人たちが遠い日に置いてきてしまった希望と夢、、、青臭くてくすぐったい、けれどそれをまっすぐに見つめる純粋な瞳だ。

『本当に儲かるか否かわからないお前の戯言に、わたしが投資をするメリットは?』
『だって、あなたは一銭の損もしない。』
『なんと?』
『俺が失敗したら、俺は一生シークの元でタダ働きだ。俺は今13歳で、高校までの学資を借りるとして、、、、』

ダリオは確かに世間をよく知っていた。彼の弾き出した数字は、とても足元についた現実的なのものだ。

『そうすると学歴があれば最低限の給与をもらえます。だから学校を卒業した18才から働き始めれば俺の借金は、5年で返済できることになります。そのとき俺はまだ、23歳で。もし俺が、シークにとって役立たなければ、23歳からの一生、タダ働きさせればいい。えっと、一応65歳くらいまではなんとか生きたいから、、、そうすると何年タダ働きするんだ?ええと、、』

ラビはクスリと笑った。年を取るということを実感するなど、若者にとっては無理な話だ。60代など世間ではまだまだベテランだともてはやされる年齢も、ダリオにとって、よぼよぼの腰のまがったじいさんにすぎないのだと、ラビは苦笑いだ。

『とすれば、47年間、タダ働きの労働力をあなたは手にすることになる。損な話ではないでしょ?』
『だが、お前は、先ほど妹の手術代を稼ぎたいと言った。タダ働きで、どうやって金をためるのだ?』

ダリオはフフンと鼻を鳴らした。

『まずは、学んでる間に、俺があなたがたの優秀な人材だと認めてもらえば大丈夫な話。だけど、俺を認めてくれなかったら、、、』

ダリオの大きな瞳がくるくると忙しそうに動いている。彼のコンピュータがざっと働いているのだ。

『俺は先ほど、シークの元でタダ働きをすると言ったけど、24時間身を粉にして働くわけじゃない。だって、奴隷じゃあるまいし、そんなことは、ここのペルーシア王国の労働条件が許すわけがない。』

『ふん。』

『そうなれば空いた時間に、別のところで稼げる!』
『ほお?』
『最終的には俺だって、あなたみたいに自分で会社を持ちたいけど、お金がないんじゃしょうがないもの。初めはどっかで雇ってもらう。そうすると雇い主は俺を認めざる終えないんだ。』
『なぜだね?』
『だって、世の中はみんなあなたのようなすごい雇い主ばかりじゃないんです。っつうかまぬけな上司のほうが多いんだもの。そんな人たちが、俺のような優秀な人間を手放すわけがないさ!』

自信ありげに胸を張ったダリオに、ラビは目を大きく開いた。よほど驚いたのだろう。だが、彼の視界に、少しだけ唇の端を上げてニヤリとしたモーセが入ってくる。どうやら、モーセはダリオを気に入ったらしい。

『ふん!確かに、わたしに損はないな!よきにしろ!ラビ。』

その言葉は、ダリオよりも誰よりも、ハナが一番安堵したものだ。ほっとして、思わず、モーセに笑いかけて何度も何度も頷いた。モーセは瞳を細めて笑みを浮かべ、ハナの耳元でつぶやいた。

『なら、今夜はお前がサービスしてくれるんだろうな?』

耳まで赤くなったハナに笑いかけているモーセは、この上もなく甘いとろけそうな顔をしていた。たまたま、ほっとして肩の力を抜いたダリオは、それを見て、一番腰が抜けたと、後でラビにこっそり打ち明けたのは内緒の話だ。

ダリオはモーセに許されてから、勉学を中心に励んでいるが、本人のたっての願いで、時間があいているときはラビの下で働かせてもらっている。そんな必死なダリオの努力を知っているだけに、こんなにも早くエティ声が戻るチャンスが巡ってくるのなら彼はどんなに喜ぶだろう。ハナは、サビーンの話を聞きながら、きっと実現できるようにと、心から願っていた。

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