わんこの騒動

7.

「結婚なんて、急に言われても、、」

ゆり子は言葉を選びながら、ゆっくりと思っていることを話していく。

「それってどういう意味なのかもわからないし、、、設楽さんの気持ちがわからないまま、あの夜怒って出ていっちゃうし、、そのまま、、会社でも何も言われないから、、、どうしていいのか、わからないし、、、」

珍しくゆり子から愚痴のような言葉がついてでる。

「谷から聞いてさ?」
「、、、」
「その、、、社内に秘密していると、結構面倒っつうか、他人の噂話に惑わされるんじゃないかと思ってさ、、、ほら、、俺ってモテるから?」
「それ、冗談のつもりですか?」
「ん?」
「設楽さんの場合、冗談になってませんから。」
「ハハ、、だから倉沢が、俺のことで他の女子から相談持ちかけられたり、、、」

ゆり子は『ああ、、あの話ですね?』と言った。涼の言いたい事がわかったらしい。以前、飲み会で、後輩女子社員から涼に憧れている話を聞く羽目になり、罪悪感を持ってしまったこと。

「うん、お前って、何だか後輩とかにやたら優しいし?頼み込まれたら、思わず首を縦に振りそうだし?」

牧川や、北村やら、そんな顔を思い浮かべながら、皮肉交じりに涼はジロリとゆり子を睨んだ。

「つまり、わたしが、そういった後輩達に対して悪いから、設楽さんと別れる方がいいのかなって?わたしが思うと?」
「ああ。」
「そうですか、、、、」

そう言ったまま、ゆり子はだんまりを決め込む。涼は、じっとゆり子を見つめている。彼女が再び話し出すのをゆっくりと待っていた。

「わたし、そんなに優しくもないし、良い人でもありませんから。」
「ん?」
「自分の大切なモノを譲るほど、お人よしでもないですから。」

ゆり子の切れ長の瞳がまっすぐに涼を見据えていた。それが彼女の本気。涼の胸がズキンとやられる。

「だから、そういう買いかぶりなことはやめて下さい。急に結婚なんていわれて、わたしがどんなにあせったか。設楽さんには、わたしとつきあうことが重かったのかな?なんて、ガラにもなく考えてしまったり、、、」

まさに美和子の言っていた事はあたりだった。ゆり子はまったくもって何もわかっていない。涼がどれだけゆり子に首ったけで、どれほど彼女を独占したがっているのか。ゆり子の中では、涼の突然の結婚宣言は、そういった彼女の苦悩を思いやる責任感からだけに発した言葉だと思っているようだ。つまりは、結局のところ、初めての男だから、それで涼が義務感に駆られているとでも思っているのかもしれない。仕事は出来る女なのに、まったく肝心な事がわかっていない。

涼はクスリと笑った。

「な、なんですか?」
「あ?まあ、いいや。」

これだけゆり子に心が奪われてることは、内緒にしておこう。ゆり子の心の奥底が少しでもわかっただけで、ちょっぴり余裕が生まれる。涼だって、何もかも手の内をゆり子に見せるほど、バカではない。

「俺、でも、、言わなかったけど、結婚のことはずっと考えてたぜ?」
「え?」
「お前が不毛だと思ってたこと、俺はしっかり考えてた。」
「ふ、不毛だと言ったのは、まだ何も二人で話し合ってないことを、あれこれ考えてみても始まらないと思っただけです。」

ゆり子が反論を唱えるが、それが、何だかしどろもどろのように聞こえ可愛らしかった。涼の顔に余裕の笑みが浮かんだ。ゆり子が別れるつもりなど毛頭考えていなかった、それだけのことで涼は何だか勇気100倍。すっかりいつもの調子を取り戻す。まったくゲンキンなものだ。

「うん、それでも、俺は考えてた。」
「、、、」

「お前、指輪、、はめてみた?」


「い、いいえ。」

涼は、まったくなああ、とため息をついた。嘘でもはめてみれば、可愛げのあるものを、、普通の女なら、こっそり指にはめてみるだろうに、、などと勝手なことを思う。

「じゃ、ちょっとはめてごらん?」
「え?」
「いいから、指輪ここに、持って来いよ。」
「あ、はい。」

ゆり子はあわてて椅子から立ち上がり、寝室へと姿を消した。




*****
/パカっ/

開け放たれた小さな箱から、綺麗なキラキラと輝く透明の石が二人を出迎えた。ゆり子は見とれているようで、箱を持ったまま、ただ指輪を見つめていた。

「ほら、貸せ?」

涼がさっと箱を奪い取り、指輪を箱から抜き取り、ゆり子の透けるような白い手を掴んだ。ゆっくりとした動きで、左の薬指に、そろりと指輪をはめていく。

「あ、」

ゆり子の華奢な指に、シンプルだが品の良いダイアモンドリングがあつらえたようにぴったりと収まった。

「ぴったりです。」

ゆり子が驚いたような声をあげた。涼の唇の端が、得意げにクイッと上がった。

「さすがですね。設楽さん。女性と付き合い長いと、指のサイズって、ばっちりわかるもんなんですねえ?」
「な、なに?」

妙に感心しているゆり子に、涼の眉があがる。ゆり子は完全に誤解をしている。確かに色々な女とつきあってきた涼だし、バッグやら服やら小物やらプレゼントしたことはあったけれど、肌にじかに身につける、アクセサリーや下着は、一度も女には贈ったことがない。当然指輪など買ったこともプレゼントしたことなどないのだ。

「お前さ、いい加減、俺のこと信用しろよ?」
「え?」
「俺、指輪買ったの初めて。」
「う、うそ?」
「嘘ついてどうするんだよ。」
「じゃ、なんで、わたしのサイズ知ってたんですか?」

ゆり子の切れ長の瞳は、未だ疑いの色が浮かんでいるようだ。まいったなと言わんばかりに涼は、指で額をこすった。

「あのさ、前に、倉沢がはめてたリング、俺、遊びで指にしたことがあったでしょう?」



ゆり子が自分のために褒美で買ったというお気に入りの18kのシンプルな指輪だが、厚みのある太い指輪だった。かなりの頻度でいつも左の薬指にはめていたのだ。ゆり子の細い指をそのごっつい指輪がまるで拘束しているようで、涼としてみれば皮肉のひとつも言いたくなった。ワインバーのカウンターで、涼が思わず、他の男から送られたのではないかと、揶揄したときがあった。

『違います、自分で買ったものですから。』
『いいから、はずせ。』

無理やり指輪を外させて、涼は自分の指にはめる。ゆり子の細い指では、せいぜい涼の小指の第2関節ギリギリというところだ。

『ほうら、こうやって俺の指でぐりぐりしちゃえば、例え他の男からもらったって、これはもう俺のもんだからな?』
『だから、自分で買ったものですから。』

そんな下らない会話の中で、涼はしっかりとゆり子の薬指のサイズを測っていたのだ。そう、、いつかはゆり子に指輪を贈ろうと思っていたから。




「な?気まぐれで言い出したんじゃないんだぜ?俺はずっと考えていた。」
「うっそ、、、」

ゆり子は、まるでJKが口にするような言い方で驚いているが、おそらく本当にびっくりしているらしい。

「だから、この指輪は返品不可だから。」
「でも、、わたし、まだ結婚は、、」

「うん。わかってる。これは結婚とかじゃなくて、俺からの罪滅ぼし。」
「罪滅ぼし?」
「順序が逆になっちゃったけど、、、倉沢の気持ちを無視して、勝手に自分の考えを押し付けようとして、挙句に、怒ってキレタ、、、その上、倉沢が俺と別れようと思っているという被害妄想的な? まったく人間が出来てない俺からのせめてもの罪滅ぼし。」
「本当にいいんですか?」
「出来れば、本当にもらってくれると嬉しいんだけど?」

ゆり子は嬉しそうに笑った。切れ長の瞳が細まると、この上もなく柔らかい顔になる。おそらくゆり子のことだ、指輪は会社にはしてこないだろうから、当分、リングは箱の中で眠らされるんだろうが、、、まあ腐るわけでもないからいいか、などと思いながら涼も笑みを返した。



*****
たかだか2週間肌をあわせてなかったのに、なんだか、ずっとゆり子にふれていなかったような感覚になった。何度も何度も飽き足らず抱きしめ、ゆり子を淵まで追い詰め、啼かせ、、、ずっとずっと抱きしめていた。涼の隣で、ゆり子は今スヤスヤと安らかな寝息をたてて、夢の中を彷徨っている。

ヒトを好きになることは、実に怖い。涼は改めて思い知る。ゆり子を失うこと、、そんなことを考えただけで、体中に震えが走り、怒り、絶望感に苛まれ、、そして涼をトコトン カッコ悪いオトコにまで貶める。ゆり子はゆり子なりに涼を愛してくれているのだが、どうしても、その重さをついつい量ろうとしてしまう。いつだって自分の注ぐ愛情の方が重くて、涼が思っているほどにはゆり子の愛情は深くないのではないか、、などと、それこそ不毛なことを思う。

「はああ、」

ため息をつく数が増えたのではないか、涼は眉間にシワを寄せる。このままでいけば、涼のつくため息で、地球で問題視する二酸化酸素問題に大きく加担してしまうかもしれない。

ゆり子の寝顔をみつめ、涼は誓う。

「計算なら、俺のほうが得意だぜ?」

ゆり子は急激な変化を好まない。ならば、じっくりゆっくりと変えていけばいいだけのことだ。気がついたら、あの指輪が、ゆり子をガンジガラメに縛るツールになればいいだけのこと。涼は暗闇を見つめ、じっと考える。

「フっ。」

笑いが漏れた。ゆり子の幸せそうな寝顔に我慢できず、その美しい額についキスをしてしまう。

「んんん、、」

ゆり子の子供のような声。寝かせてやろうと思うのだが、また、つい、、手が出てしまう。

「ああ、もう、、眠い、、寝かせて、、し、たら、、さ、、ん、」


いまだ夢の中にいるのか、こういうときのゆり子は素のようで、あどけなくてとても可愛らしい。だからこそ、ついつい涼の欲望に火がつく。



『ちょっと、ユリタを殺す気ですか?』


美和子の顔が浮かんだ。確かにな、、、涼は、唇をすぼめ、ゆり子の額にフーっと息を吹きかける。ゆり子の柔らかいうぶ毛のようなものが額の上でふわりふわりと舞いあがる。息がかかるのが嫌なのか、ゆり子の眉にシワがよる。

「かわいい。」

ギャップというものだろうか。会社では絶対見られない、ゆり子の姿のひとつ。涼の欲望はどこまでも貪欲だ。そして、それ以上に、深く深くゆり子を愛し、心が満たされていく。ゆり子といるとあたたかいものの充足感でいっぱいで心地よくなる。傍にいるだけで本当によく眠れるのだから、、、もう、、手放せるわけがない。
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