<注釈:企業名・製品名など全て架空のものですことご了承ください。>
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牧川は真剣で一途な恋愛を経験をしてきている時点で、自分よりも人間的にはるかに上だと、涼にしてみればスタート前ですでに負けている気がする。今まで女と真摯に向き合わず、ちゃらんぽらん人生を歩んできた涼は、仕事こそ出来るが、30過ぎても未だに女に惚れたことのない最低男なのだ。ゆり子のことだってこれからどうなるかもわからない。ましてや、本気で惚れていると胸を張って言える自信もまだなかった。対する牧川は、仕事も将来性に満ち溢れ前途有望、その上、ゆり子に目をつけ、上田和美を最低とはき捨てるあたり、北村よりもはるかに女を見る目があった。
「僕、設楽さん結構観察してるんです。やっぱ男としては憧れますから。だって、設楽さん、多少あれでも、結局仕事バチってやるから、会社も何も言えないし。」
(多少アレってなんだよ、あれって)
「それに、今日のパティさんのあしらい方も、スマートつうか。」
「何だ、お前パティ狙いかと思った。」
「いやいや、年上ならやっぱ倉沢さんみたいのがいいです。パティさんって、次から次に、駐在員手篭めにしてるって噂ですから、僕は遠慮しときます。」
「何? そんなの噂になってんの?」
「本当に噂、興味ないんすね、、 この話は有名ですよ。まあ、駐在したばかりの坂田さんがどうなったのか、まだ知りませんが、、、」
(ヤツもやられたよ、、、)
「一番最近の噂だと、設楽さんの同期の北村課長が超ヤバいくらい絶倫で、上田和美は振られたくせに、その腹いせで、課長と寝た ってデマを飛ばしてるとか、」
(嘘だろ?、おい?)
思わず笑うしかない涼。
「ははは、そりゃいいや。おもしれえええ、くくくっ。」
今頃北村が赤鬼のように怒っているだろう。美和子なら大笑いしているに違いない、じゃあ、と思い出すのは、睨んでいる切れ長の目にすらりとした美しく、しなやかな姿。
牧川と最後のスコッチを飲みながら、涼は静かなメキシコの夜を味わっていた。
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【おはようございます。SCMの皆さん、朝からお世話になります。】
メキシコ時間は夕方6時をまわっているが、日本時間では翌朝9時で、来社早々の会議となる。
【本日、ファシリテーターを務める牧川です。こちらの出席者は、生産のリカルド、、】
牧川がメキシコ側の会議出席者を次々に紹介していく。テレカンは当然英語で行われるが、多少単語がおぼつかない英語が苦手なメキシコ人がいるときは、涼がフォローをしたりする。日本側のほうは、SCMのメキシコ担当、日比野、早乙女、品質管理は横浜工場から承認課課長の久保川、などなど。当然倉沢ゆり子も責任チーフとして出席していた。テレカンは電話で行うので自席からでもできるのだが、海外とするときは一応会議室に集まって電話にマイクを繋げて行う。唯一品管の久保川だけが、横浜から電話での参加となっていた。
【おはよう。牧川君、日比野です。みなさんよろしくお願いします。】
日比野というのは牧川の同期だ。涼は、上田和美の暴言をゆり子たちに相談したのはこの子だったのかと、ゆり子の話を思い出した。
会議は順調に進んでいった。涼は、牧川の進行役としても、的確な質問にも、部下として非常に満足していた。SCM側も同じらしく、ゆり子は部下を信用して今まで一言も口をはさんでいない。
品管の久保川が突然堰をきったように言い始めた。
【言っていることはわかるよ。だがね、メキシコがちゃんとした油の管理をして輸送してくれないと、こっちに着いてから結局質がおちちゃうんだよ。そのせいで日本側で検査に時間がかかってしまうんだよ、それを、うちが遅いだとか早く出荷しろって言われてもねえ。】
今問題にしているのは原材料のタラウマラオイルと呼ばれるもので、世界でも数カ国しか生産されていない貴重な輸入油なのだ。涼の会社でもここ数年健康食品や美容食品に力を注いできた。食用だけではなく、美容などの原材料を買い付け日本向けに加工し、それを化粧品会社や美容健康会社などにおろしていた。
最近メキシコのチームがこの貴重な油のサプライヤーと新しく契約した。ただ日も浅い事もあり最初のころはパッキングや書類など不備が多く出荷遅延の原因となっていたのだが、この頃は現地メキシコとの問題はかなり改善されていた。それなのに、未だ出荷遅延と言われるのは、何を隠そう品質管理の、この久保川が張本人にならないのである。
この事は別件で国内会議で問題点として提起しよう考えていた牧川達だったし、今この場でメキシコを巻きこんでという話でもなかった。それどころか自分達の非をあたかもメキシコの落ち度のせいにするとは笑止千万。おとといきやがれなのである、と誰もが思ったことだろう。
日比野がすぐに反論する。反論はするが課長相手なので遠まわしにさらりと言う。
【久保川課長、最近の出荷遅延はメキシコというよりも国内にはいってからの様々な要因があい重なっていると思いますが、】
エクス&インポートのエステルも黙っていなかった。
【最初は、オイル特性がわからず、現場も、わたし達もかなり混乱し、梱包が不備だったりしたのはお詫びしますが、データとしての結果から言えば、最近はうちの工場で早期出荷が達成できていて、パッキングも問題がないと聞いていますが、、、】
品管課の承認の久保川はしつこい。
【それでもね、うちの工場から検査に入るとかなり品質がおちているんだよ。それでうちとしても検査に時間をとられてしまう。】
メキシコ品管のパティがエステルを援護した。
【品質管理のパティです。あのオイルはかなり臭気がありますので、うちに納品されたあとは高温で臭気をとばしますが、そのときに酸化物がでないよう、3回にわたる検査で合格をしたものしか輸出してませんから、久保川さんのおっしゃってる意味がよくわかりませんが、、、】
久保川もこうまで言われてしまうと何も言えなくなるが、この男の性格の悪さで、絶対に非を認めない。ただ、日比野にしても、牧川にしてもこの久保川の相手ではなかった。涼がひとこと言おうと思った矢先、電話のスピーカーからゆり子の声が聞こえてきた。
【おはようございます。皆さん、倉沢です。】
涼の心臓がドキリとした。牧川じゃないが、遠い国から聞く倉沢の声はとても胸に響く。彼女の声は心地よく人の耳に届いていく。全員の空気が一気に安心していくのがわかった。
【えっと、久保川さん、それでは、牧川君が帰国次第、緊急ミーティングを開くということでいいですか? そのときは横浜からぜひこちらにお越しください。】
【ふん。】
承諾の意だろうか、小さく久保川の声がした。
【じゃあ、牧川君は再度工場での生産過程を確認してください。パティは、悪いけど、直近の検査内容データをメールしてね。それから、サチは、まみと一緒に乙仲さんに問題点を洗い出してもらって。】
一斉にハイと言う声が聞こえた。
【そちらから何かありますか? 牧川君?】
マイクをいじっているのか、スピーカーから雑音が少し聞こえた。ゆり子の白い手が思い出された。
【いや、別にないです。】
牧川はメキシコ人スタッフの顔を見回す。ついで駐在員の坂田を見るが、坂田は首を左右に動かす。牧川が涼にふる。
【設楽課長何かありますか?】
【来月僕達がまたメキシコに来るので、それまでに今の問題点を国内でレビューしてまた来月現地で結果報告するということで、大丈夫だね?】
【はい。】
全員が口々に返事をした。
【うん、じゃあ、丁度いい時間だし、牧川?】
【はい、じゃあ、ありがとうございました。】
久保川がいち早く電話をおいたのがわかった。SCMが電話を切る前に、涼が声をかける。
「いつもサンキュー。 日比野さん、何お土産ほしい?」
「えええ、設楽課長ですか?
じゃあ、メキシコからいい男お願いします。」
と、お決まりのジョーク。
「日比野さん、メキシコ人もいいけど、うちの牧川君超2重丸だから。」
「はは、えっと、じゃあ、美和子さんがテキーラお願いしますって言っていました。きっと設楽さんは美和子さんに迷惑かけるからって。何やらかしたんですか?」
『あんのやろおお!』と美和子の顔を浮かべながら、涼は平静を装いつつ、にこやかに再び問いかける。
「うん、わかった。倉沢は?」
あえてゆり子にも声をかけた。
「わたしは美和子におすそ分けしてもらいますから、、、」
仕事の時とは違い頼りなげな声が耳に届く。
「あ、倉沢さん、じゃあ、僕ワイン買っていきますね。倉沢さんワイン好きですもんねえ。」
あわてたトイプードルが『きゃいん』と吠えたようで微笑ましいのか、ゆり子が電話越しにクスリと笑う声が聞こえた。
「じゃあ、牧川、あたしもねっ!」
日比野も続いていう。
「OK、サンキュー、じゃあ解散しまあす。」
牧川が電話を置いた。何故かちょっと不機嫌な涼。あなどれない牧川に、大人げなくライバル心がメラメラとわいたのだが、そんな涼をここでは誰も見抜けるものは、一人もいなかった。