俎板の黒猫
2.
「ど、、どうしましたか?設楽さん?」
ドアを開けて迎えてくれたゆり子はもうスッピンで、、、涼は少しばかり驚いて、一瞬たじろいだ。いきなりくつろいだゆり子が出てくるとは思わなかったからだ。月曜日から、帰宅前に下らない会議で召集をかけられ、かなり疲れ切って帰宅の途についた。美和子から、ゆり子は今日は1日工場詰めで、いろいろ夜も付き合いで遅くなるだろうと聞いていたので、帰途についた夜の10時を回る頃でも、ゆり子が帰宅しているのは半々かもしれないと思ったのだが、やはり会いたい気持ちに勝てなくて、彼女の部屋のドアを叩いていてしまった。
「お、お前、、帰って来てたの?」
「設楽さん、、今、帰りですか?」
ゆり子は涼の問いに答えず、背広姿の帰宅帰りの涼に、逆に問い返した。
「あん?俺?、、ったく、まいった、、、くだらねえ会議で、、」
実力のある涼だが、出世の早かった彼には、いろいろと厄介な嫉妬やら、しがらみも多く、会議となると上の方からネチネチ言われることも、しばしある。その辺の事情を知っているゆり子がねぎらいの声をかける。
「今、、スープ作ったんですけど、、おじやにして食べますか?」
こういうところがほっとする。ゆり子だって今日1日慣れない人間関係で疲労困憊だろうに、それでも決して嫌な顔をしない。かといって、涼に気を使わせない態度や、ちっとも押しつけがましくない言い方に何だか涼は、ほっと息をついた。
「うん、、ただいま。」
蕩けるように瞳を細め、ゆり子に笑顔を向けた。
*****
腹が温まると、心もほっこりとする。そこで少しだけ、余裕も戻り、美和子の話を思い出していた。
「倉沢さ?今週の金曜日、あそこ行かない?」
「え?」
ゆり子の金曜日の予定を知っていた涼だが、あえて彼女からの断りの返事の間を与えない。
「ヴィノーズ コンチェルト。」
「え?」
「あそこでゆっくり飲んで食べない?予約もしちゃったし。」
なかなか予約の難しいワインの店だが、先ほど会議前ダメ元で予約を入れたところ、幸運の女神はどうやら涼に微笑んでいるようだ。ワイン好きの倉沢ゆり子は、本当にワインに目がなく、雰囲気がよくうまいワインを出す店と聞けば、必ずゆり子の食指が動くことは、涼はすでに知っている。
「と、取れたんですか?予約?」
本当に驚いた様子で、びっくりしたように目を丸くした。普段は強情な意思が瞳を映すくらい強い目力の女だが、今夜の無防備なスッピンとリラックスしているゆり子の表情があどけなく、涼の胸がキュンとたまらない。金曜日は、昔の同期と =涼にしてみれば昔の肉体関係ありの女たち= 飲むはずで、都合が悪いゆり子なのは百も承知だが、出来ればその飲み会に行ってほしくない涼は、卑怯ながらこんな手で金曜日を平穏無事に済ませようと思っているのだ。
「うん。倉沢、、ずっと行ってみたいって言ってたし、家飲みもいいけど、たまには、ゆったりと美味い赤ワインを雰囲気変えて飲んでみたいしな?」
最近になってわかったことは、好きな女が傍にいて寛げる家飲みに勝るものがないと涼は思っている。だが、ゆり子にしてみれば、たまには外で、他人の作る料理で大好きな赤を味わいたいと思っている気持ちもあるはずだ。そこにつけて、ヴィノーズ コンチェルト という非常に誘惑的なエサでゆり子を釣っている、というわけである。
ゆり子の眉が困ったように少しだけ下がった。こんな表情を見せるゆり子も、家ならではの醍醐味だ。仕事場では、どんな窮地の場になっても、ゆり子の瞳はたゆまない。いつもしっかりとして最後の最後まで解決案を導き出そうと必死になって考える。だが、今夜は、最初から負けを認めたように切ない顔をした。
「タイミングが合わなくて、、、残念です。」
「え?なんで?だめなの?金曜日?」
知っているくせに、涼は驚いたふりをした。
「はい。でも、、せっかく予約取れたんですから、設楽さん行ってきて、それで、どんなだったか後で教えてください。ね?」
これだから困るのだ。この女は、、、
『えええ、どうして今週の金曜日なんですか? ああ、悔しい!』
『何で最初に予定聞いてくれなかったんですか?もおお!』
とか、そんな不平たらたらも言わず、かといって、
『別の日に行きましょうよ!』
『他の人とはいかないでくださいね、』
そういう自分勝手で強引なことも言わず、挙句、
『金曜日の約束反故にして、そっち優先しちゃいますね。どうせ女友達の集まりでつまんないから、』
などという、恋人優先的発言もしない上、涼に誰との約束であるかなどという質問の余地も与えてくれないのだ。だからといって、『誰と会うの?』何てこと、かっこ悪くて涼が聞けるわけもないのだから。
「お前さ、それこそ金曜日、別日とかになんないの?」
かっこ悪さも関係なく、やっと言えた涼の言葉。ゆり子は、ますます眉を下にひん曲げて、申し訳なさそうな声をだした。
「すみません、、、先に約束しちゃったし、、、なかなか会えない人たちだから、、」
こういうところがゆり子らしいのだ。約束の順番の前では、たとえ恋人といえども優先されることはないのだ。それでも涼は引き下がらない。
「ちぇっ、、お前と一緒に行けるの楽しみにしてたのになあ。まあ、俺、、お前の予定も聞かずに予約しちゃったのもわりいけど、、でも、、予約できるとは思ってなくて舞い上がちゃって、、、」
ゆり子は情が深い。凛としていてシンがしっかり一本通っていて、仕事などでも理不尽なことには淡々と理詰めで人を攻め込んでいくくせに、実は、相手が自分の非を認め藁にもすがる思いの弱っている人間には、情け深い。爪を抜かれたとはいえ、涼は涼で、いつもの孤高を保ちゆり子を追い詰めるあのイジワルな涼が、今や、悲しそうな瞳でションボリ言う姿は、ゆり子の心の奥底に隠れている情の扉を開けていく。少しばかり、いや、かなり卑怯な手に出た男。
「本当に、ごめんなさい、、、けど、、どうしても金曜日は、、無理なんです、、」
悪びれながら、声が弱弱しくなっていくのに、それでも彼女は首を頑として縦に振らなかった。本当に強情だ。
「やめちまえよ。そんな約束。金曜日、、行こうぜ、、」
我慢の限界で、涼の手が伸びていく。ゆり子の細い首もとを涼の指先がおりていく。なめらかな陶器のような白い肌に、ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえそうで、それを紛らわすように、涼はいきなりゆり子の首もとに自分の唇を落とした。
「あ、、、」
小さな声が、涼を煽っていく。
「やめちまえって、、なあ、倉沢、、、」
涼の言葉はゆり子の首筋から鎖骨へとくぐもって聞こえてくる。
「い、や、、あ、、あ、、」
抗おうとする手を、がっしりとつかまえて涼は抵抗するのを許さなかった。一瞬、今日が週初めであることが頭を掠めるが、起こしてしまった欲望を邪魔立てするすべなどない。
「ちょ、ちょっと、し、設楽さん、、今日はまだ、、」
冷静に月曜日などと考えるゆり子に、ヨコシマな黒いモヤが涼を襲う。そんなことを考えられなくなるくらい啼かせてやる。ゆり子の理性をめちゃくちゃに壊してやりたい。結局、物理的には、ゆり子は涼の経験値には敵わない。涼の長い指先が、無防備な部屋着の中をすんなりと入って行けば、小ぶりな胸を優しく愛撫していく。すでにゆり子の胸は先端を固くとがらせ、じらしながら奏でていく涼の指先を待ちきれないようだ。
「ああ、ん、あ、、ぁ、、」
爪で少し刺激を与えれば、たちまちゆり子の吐息が聞こえてくる。だが、未だゆり子の吐息はためらいがちで、今夜の涼はそれを許さない。
「どこがいいのか言えよ。」
意地悪な言葉に、ゆり子の瞳が涼を睨む。だが、涼は唇の端を少しあげ、随分と余裕で、また、彼女の胸をさわりと攻めていく。柔らかくその指先で、ゆり子の胸の突起に触れる。触れたかと思うとさっとまた別へ動いていく。何度も繰り返され、ゆり子を焦らしていく。
「いや、、あ、、」
ゆり子が耐えられないのか、思わず拒絶の声を漏らした。ゆり子の瞳はもう涼を睨んではいなかった。その代わりに瞳が潤んでいて、涼に懇願しているように見える。その瞳に色香が宿り、涼はたまらなくなる。すでに硬くなっていた涼のモノがジンジンと痛いくらいで、もう我慢ができなかった。
「さわって?」
涼はそっとゆり子の耳元で囁く。涼の色っぽい声音にゆり子が震えた。すでにゆり子の体はあられもなく、白い胸が半分、明かりの中でさらされており、その蕾の先端がツンと揺れている。ゆり子はぎこちない動きで、涼のスーツパンツのジッパーをおろしていく。衣擦れの音とゆり子の時折漏らす吐息、、そして、現実味を帯びていくジッパーがおろされる音、、、涼の猛々しいものがやっと窮屈な場所から放たれ、刹那、ゆり子の細く白い指先がそこにふれる。
「ん、、、」
甘い声が出てしまい、その反動で、涼は思わずゆり子の胸に舌を絡める。先端をペロリと舐めとれば、彼女の切ない吐息と共に、ぐんと胸が反らされた。涼はしっかりゆり子を見つめながら執拗に胸を攻めていく。ゆり子も必死に涼のモノをしごこうとするが、やはり涼の動きには敵わないようだ。
「ああ、、あ、、そん、なこと、、したら、、できな、いか、、ら、、」
ゆり子が握りながら、涼を気持ちよくさせようとしているのに、結局彼に翻弄されてそれも叶わず、ゆり子から抗議の言葉が漏れた。
「ほら、、がんばって、、、もっと、、さわって、、」
涼の吐息に、ゆり子も必死に上下に動かそうとするが、涼の指先に感じてしまい、ゆり子の手は止まってしまう。
「あ、、だ、め、、、」
それでも動かそうとしているゆり子に、涼は優しく囁く。
「倉沢、、、たまらない、、、」
低く下半身に響く声に、思わずゆり子は自分の手に包んでいたものを離す。涼の形の良い唇は、胸元から滑り落ちていき、ついにはゆり子の茂みへと下りていく。
「あ、いや、あああ、、、」
ゆり子はそこを口で攻められるのをとても恥ずかしがり、抗い始めるのはいつものことだ。涼の大きな手で抵抗するゆり子の手首を抑え込む。
「だめえ、だめええ、、ああああああ、、、、」
細い腰をこれでもかと弓なりにさせる。彼女の全てが美しいと涼は思う。華奢でスラリとしている肢体のくせに、美し骨格は凛としていて、ゆり子そのものを表しているような彼女の肉体、、涼は溺れていることを自覚しながら、愛おしさがこみあげて、大切なゆり子の部分にチュッと口づけをする。それに応えるように、そこがみるみるうちに濡れそぼっていく。
「観念しろよ、、くらさ、、わ、、、」
「あ、あ、あああ、あ、」
*****
いつものように、終わってみればぐったりと眠るゆり子の寝姿に、涼は満足げに優しく見つめる。結局月曜日だというのに、ゆり子の声が枯れるくらいに、抱いてしまった。疲れ切ったゆり子を見て、かわいそうにと思うものの、結局毎回同じ過ちを繰り返してしまう涼だ。涼だって怖い、、、すっかり落ち着いていたと思っていた欲望は、ゆり子を知ったことで、飢えているような極限のないセックスをどんどん求めていくのだ。今まで、どんなに女を抱いても、どんな女とセックスしても、気持ちよかったし、終わればそれで満足だった。けれど、ゆり子とのセックスは涼の根本を覆す信じられないもので、気持ちよくて、たまらなくて、体中が熱くて燃え上がり、、終われば満ちたりて、けれどずっと抱きしめていたくなる。ゆり子の香りが涼の体から消えていくと、途端に寂しくて切なくて、また追い求めてしまう、、、
結局、最後までゆり子の口から、金曜日は女子会にはいきません。という言葉は聞けなかった。涼にしてみれば、どんなに過去の女がゆり子を煩わそうと、涼にとってゆり子は今の瞬間、唯一無二の女であり、どんなものにも代えることのできない、涼の大切な女なのだが、、、、
(それをわからせるのは、、難しいんだよな、、、だいたい、あんだけ過去の女たちが勢ぞろいするんだから、、、)
情けなくも、ここは美和子に何とか知恵をもらうかと、微睡(まどろみ)に襲われていくかすかに残った思考力を駆使していく。だが、さすがの涼も今夜は疲れたようで、ゆり子を抱きしめながら、気持ちの良い眠りに誘われていった。
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